オープンダイアローグで相談者役を経験し、私の中で起こったこと

この1年以内に始めた学びとして、「アサーション」「オープンダイアローグ」があります。
クライアントさんに提供できるレベルになるためには、先ず自分自身が体験する。
自分が良いと思ったものしか提供できないと信じているためです。
「アサーション」についてはまた別の機会にブログに書いていきたいと思います。
本日は、オープンダイアローグの学びから。
最初に学び出したのはオンライン講座でした。
初めてオンラインでグループに分かれてオープンダイアローグを経験したときは、衝撃的でした。
それは、自分が感じていることをこんなに深く理解してもらえたという経験。
また、他者が語られた人生に深い敬虔の念が生まれたこと。
オープンダイアローグとは、フィンランドの精神医療の現場で始められた手法です。
当事者を交えた家族や治療者など関係者が集い、対話をするなかで投薬せずに回復に導いた実績により注目されました。
医療現場だけでなく、教育やビジネスの場にも、このオープンダイアローグの手法や思想は広がりを見せているようです。
私も実際にこのオンライン講座で学校現場で実践している方、ビジネスの現場で広めようと頑張っていらっしゃる方に出会いました。
オンラインでなく、リアルな場で体験してみたいと思っていたところ、地元でその機会に恵まれました。
そこで、最終回の日にみんなの前でデモンストレーションをするというとき、私は「相談者役」に立候補しました。
20~30人の前で自分のリアルな相談をするという、非常に貴重な経験をさせていただきました。
自分が先ず、ファシリテーター役のカウンセラーの先生に最近の悩みを打ち明けます。
私の後ろには5名の聴衆者役の方がいて、私が話している間は黙って聴いています。
ひとしきり私が話し終わると、今度はファシリテーターの先生は、聴衆者の方に移動します。
今度は先生が聴衆者たちと私が語った「言葉」について、対話を重ねます。
その間、私は背中越しに、その話を黙って聴いています。
私が話したことに触発されて、聴衆者それぞれが自分の人生を語り始めます。
はるかに私の悩みよりも深く重い経験を話されることが、私の悩みを癒し、新たな視点を授けます。
そのような、「語る」と「聴く」を交互に分けていきながら、最後は皆が顔を合わせて一つの円で話します。
そのとき私は、今まで見知らぬ同士だった人たちが、既に昔からの友人であるかのような錯覚を覚えました。
私の相談から端を発した話が、明るく和やかな空気を醸成しながらチームのようなまとまりを帯びた対話。
最終的には私が「悩み」と思っていたことは、なんだか「どうでもよい」という気持ちになりました。
私が問題と思っていたことが、「多声性」により、多角的俯瞰的にそこから問題を捉えることができたからなのでしょう。
また、聴衆者は私が発した「言葉」のみに着目し、どう感じたかや、その背景にある自らの体験のみを話します。
そのため、相談者である私が他者からの一方的なアドバイスや批判で傷つくということはありません。
真の「心理的安全性」を理解し、体感した瞬間でもありました。
ご興味のある方は「オープンダイアローグ」を学び、経験されることをお勧めいたします。

あの厳しかった「夏」が鳴りを潜め、肌寒いと感じる日も。
何となくきれいな空と、自分の心境を重ねてこの写真を記事に挿入しました。
